この記事はシリーズものになります。是非①からお読みください。
①⇒https://www.wasanmitsu.com/entry/2019/07/20/200000
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8:58(実際は9:09頃?) 内房線 館山行
強い風の影響で約20分遅れで到着した電車に乗り込み、長い内房線の旅を再開します。木更津行きが去ってからは、たった一人で異臭の放つ小さい小屋に一人たたずんでいました。かれこれ40分近く上総湊駅にいたのでしょうか。頼むから終点駅ぐらいはもっと大きい駅にしてほしいものです。
ここらへんまで来ると車内はがらがら、かつ通る駅は無人駅がスタンダードです。車内には、靴を脱いでシートに足をあげてくつろいでる人もちらほら見かけます。私も堂々と4人掛けのシートを独占することにしました。
風の影響でゆっくり進む電車に揺られながら、内房線の車窓から景色をのんびり眺めます。この時間、正直なかなか良いものでした。特筆すべきことは特にありませんが、日々のあわただしい生活から少し身を離し、ぼーっと景色に身を委ねる時間は、とても癒しにあふれています。天候がうんぴっぴなのだけが悔やまれます。ようやく電車旅らしくなってきました。
9:40 館山駅
豊かな情景のおかげで内房線長すぎ問題も解決し、気づけば館山駅に到着です。ここからもう一度乗り換えて内房線の終着安房鴨川駅に向かいます。
館山駅はありがたいことにそこそこ大きい駅でした。なんだか西洋風のしゃれた二階建ての駅舎に、駅前にはヤシの木が旅人をお出迎えしてくれています。天気が悪いせいで写りがあまりよくないですが、晴れた日に館山に観光や用事で来たら、なかなかにテンションがあがりそうな気がします。
しかし、寝不足が深刻になってきている私は、次の電車までの短い時間を仮眠にあてることにしました。数分の仮眠も、今の私にとっては貴重な休息になります。館山駅のホームにはなんと屋根もあり、さらにきれいな休憩スペースまであります。なんという大都会でしょう。これは快眠が期待できます。ほどなくして、私は深い眠りに落ちました。
・・・。
嫌な予感「おーい、そろそろおきろー」
私「なんだようるせーなー」ムニャムニャ
嫌な予感「いいから早くおきろー」
嫌な予感は、急に思い立ったかのように私を起こしにかかりました。気持ちよく眠っていたところではありますが、あまりにしつこいので仕方なく起きます。
嫌な予感「おはよう和三蜜」
私「気持ちよく寝てたのに起こしやがって」
嫌な予感「そんなことより、改札階にある電光掲示板で次の電車を確認したほうがいいと思うよ」
私「なんでだよ」
嫌な予感「なんとなくだけど、なんか嫌な予感がするの」
次の電車は10:11発の安房鴨川駅行きです。蘇我駅での反省を生かし、次に乗る電車はしっかり確認し頭にいれてあります。私は、一度犯したミスは二度と犯さない男です。
しかし、嫌な予感に「嫌な予感がする」と言われた日には、なんだか嫌な予感がします。仕方ないので、2階の改札階に登って電光掲示板を確認します。
私「・・・」
私「・・・・・・・・」
嫌な予感「やっぱりね、なんか嫌な予感したんだよね」
私「・・・・・・・・」
嫌な予感「だって1時間も寝てるんだもん」
「だって1時間も寝てるんだもん」
「だって1時間も寝てるんだもん」
崩れ落ちそうな膝をなんとか支えながら、私は目の前に示された事実が何かの間違いである可能性を必死に頭の中で模索しました。
しかし、そんな努力には何の意味もありませんでした。どんなに頭をひねろうと、どんなに目をこすろうと、私がここ館山駅で、1時間に1本の電車を前にして、すやすやと眠り呆けていたという事実は、微動だにすること無く私の目前に鎮座しています。
呆然としながらホームの待合室に戻ってきた私は、周りの目など気にする余裕は全くなく、魂の抜けたようにベンチに座り込み、うつむき頭を抱えました。
やってしまった。
これから先に進んだところでおそらく今日予定していたスケジュールの完遂は困難でしょう。多少余裕のあるスケジュールを組んでいたとはいえ、蘇我駅での失敗に続いて、この1時間半近い遅れに対応できるほどの余裕は、どう考えてもありません。だからといって、ここまできて「やっぱり群馬は諦めて関東6都県制覇に変更します」なんていうのも、全く気乗りしません。あまりにもみじめで、無様なだけです。
この現実が、紛れもない事実であることをようやく理解した後、最初に胸に去来したのは後悔でも、自責の念でもなく、言うなれば絶望に近い感情でした。
私には、patoさんという大好きなライターさんがいます。彼がSPOTというおでかけメディアに掲載している過酷な旅の記録が私は大好きであり、憧れでもありました。この「大回り乗車」の存在を知ったのも、patoさんの記事がきっかけでした。
patoさんは、どんな過酷な旅路であろうとも、当初に決めたスケジュールを必ず実行してみせます。それも、大きなミスもほとんどなく、時には驚くべきような睡眠時間で旅を成功へと導いて見せます。元来不毛かつ過酷な旅が大好きな私は、patoさんの記事に心躍らせ、ただ文章を読むだけではなく、私も旅を実行する側の人間でありたいとの思いを深く募らせていました。
それが、このざまです。patoさんの旅路からしたら足元にも及ばないスケジュールで、それも初めてまだ数時間という段階で、小さなミスの連続の果てにこの致命的なミス。
私には、patoさんのような旅を成し遂げる力はなかったのです。私は所詮、何のとりえもないただのフリーターなんです。何の取柄もない人間は、大人しく平凡に生きていくのが筋ってもんです。憧れは、憧れのまま終わらせておくべきだったんです。
今すぐ帰りたいと思いました。私には、「大回り乗車」なんかできっこなかったんだと。しかし、ここは房総半島の先端、館山という場所です。ここで旅を止め帰路につこうにも、またあの長い長い内房線に、それもこんなにも沈んだ気持ちで乗らなければなりません。その道のりは想像するだけであまりにもしんどく、あまりにも辛い。
進むも絶望、戻るも絶望。この縁もゆかりもない館山という土地で私は、憧れも目標も無残に絶たれ、進路も退路も塞がれ、絶望という言葉でしか表現できないような、困難な状況に追い込まれました。
足元を呆然と眺める私の目には、気づけば涙が溢れていました。比喩などではなく本当に、涙で地面が潤んできました。
この先どうしようか。ブログもやめようか、どうせ続かないし。真面目に就活して、正社員でも目指そうかな。どうせそれも続かないんだろうけど。
自身の愚かさによって招いた絶望は、自己否定感に姿を変え、私を襲ってきます。自分で自分の心を傷つける行為は、なによりも苦しいものです。
いずれにせよ、進むのか、戻るのか、次の内房線安房鴨川駅行が出るまでには結論を出さなければなりません。現実に向き合い、この先の行程について考える必要があります。
この時私の心の中には、帰りたいという気持ちが大勢を占めていました。その時ネックになるのが、長い長い内房線です。これまでの内房線の道のりが、頭の中にフラッシュバックしてきます。
ジェフ千葉一色の蘇我駅。床に打ち付けられたあげく、傘の先端で遊ばれた虫。ずぶ濡れの女子高生。上総湊駅の臭い小屋。そしてタバコおじさんの背中。
・・・タバコおじさん。
タバコおじさん。そうだ、上総湊駅で彼は、激しい雨風の中でも、到底不可能に思える状況の中でも、タバコを吸うことを決して諦めようとはしなかったではないですか。諦めることなど微塵も頭にないかのように、ひたすらにライターの火を灯し続けていたではありませんか。そんな彼の背中は、願いが叶ったか否かとは全く関係のない次元で、かっこよく輝いていました。
それに比べて私はどうでしょう。館山駅でめそめそしながら、帰りたいなどとわめいています。あまりにもかっこ悪い。あまりにも、あまりにもかっこ悪いぜ俺。
しかし、ありがたいこととに私にも、この背中を輝かせるチャンスが残されています。それは、ほんのわずかな輝きかもしれません。でも、最後まで希望を捨てなかったという誇りを胸し、堂々と日々の生活に立ち返るチャンスが、まだ残されているのです。その方法は唯一、先に進むことです。
ほとんど消えかかっていた心の炎が、少しだけその勢いを取り戻し始めました。先に進んだところでつらく苦しい旅路になることは逃れられないでしょう。しかし、進むも絶望、戻るも絶望。なら、先に進んでやりましょう。それに時刻表というのはたいへん複雑怪奇な代物であり、ダイヤも各地で乱れている今日、もしかしたら奇跡的に従来の目標を達成できるルートがあるかもしれません。
結論は出ました。先に進みます。テンションは相当落ち込んでいますが、とりあえず行けるとこまで行こうと思います。